ホラー
木曜日, 6月 19th, 2008スネークヘッドテラー
映画に関係ないのだが・・。最近、健康食品 通販でダイエットをはじめた。
しかし、空腹に耐えきれず夜な夜な出かけた飲食店でB級映画が流れていた。
スネークっていうから蛇かと思いきや雷魚パニック映画だった。
これがわかるまでに、1時間以上かかった・・・・。これって、この飲食店の集客マニュアルの1つ?1杯のつもりで飲んでいたのに・・・・ 気づいたら3杯。
B級映画の内容は雷魚が大発生し、駆除するため大量の毒薬を巻き、結果湖の魚は全て死に絶え、釣り人も海水浴客もほとんど来ない状態になってしまったカルタス湖。それから2年後、やっと人が戻ってくるようになったところ、湖の周辺で何ものかに襲われた犬の死骸、そして人の腕が発見される。そしてその後も怪死体が発見される。保安官のパトリックは、生物学者に助けを求め、謎の生き物の正体を探ろうとする。そして彼らは、湖に棲む巨大な雷魚がこの事件を引き起こしてることに気付く。そんな折、パトリックの娘アンバーは、雷魚に殺されたボーイフレンドの敵を打とうと友人とともに雷魚狩りにボートを走らせる。そんな彼らに数え切れないほどの雷魚の群れが襲い掛かるといったような内容だったかな?
いまいち覚えてない。
今思えばこの飲食店のお客を返さない戦術にはまっただけだったなぁ~。
他の飲食店の店長さんに、この飲食店の集客方法を教えてあげたい。
トレマーズ
アメリカ映画には数限りなくキス・シーンが氾らんしており、観客も食傷気味である。
今の映画のほとんどは、ストーリー上においてキス・シーンがたいして意味をなしていない気がする。
だが、アンダーウッドの描くキス・シーンは、これらとは違う。
まるでキャプラ映画のキス・シーンのごとく、映画の秘訣が凝縮されており、なくてはならない要素。
「トレマーズ」のケビン・ベーコンとフィン・カーターの最後のキス・シーンは、80年代のベスト・キスにあげたい。
この映画は、巨大な地底生物に人間が襲われるという低予算の特撮ホラー映画で、見せ場はもっぱら恐怖シーンなのだが、それなのにこのキス・シーンには感動がある。
一見本編と関係のない付録のようなシーンだが、実際は最も重要な演出効果だ。
アッシャー家の惨劇
B級映画を語るとき、誰がロジャー・コーマンを無視できようか。
54年に低コストの映画を量産するためのプロダクション会社を発足したコーマンは、今日まで無数のB級映画を発表。
一方で映画作家・映画俳優の卵たちを養成し、B級映画の可能性を広く認めさせた。
B級映画作家の中には、出世してA級映画の監督になった者もいるが、コーマンは断じてA級映画に手を出さなかった。
いや、ひょっとしたらB級が精一杯だったのかもしれない。
怪奇小説、サイケデリックなどなど、コーマンが手がける作品は悪趣味なものばかり。
全米で拡大公開されているA級映画よりも、僕はよっぽどコーマンの作品の方に映画愛を感じる。
ブレインデッド
だいぶ前、僕は「ロード・オブ・ザ・リング」を絶賛した。
本当のことを言うと、不満はかなりあったのだが、あの時は、剣と魔法のファンタジー映画で、あれほどよく出来たものを見たことがなかったので、オタク心が揺れ動いた。
僕が「ロード」を見てイヤだと思ったのは、まるでB級映画のようなクサい演出が鼻についたからだ。
フロドがトロルの槍に刺されるシーンなど、大して重要でもないところで、どうしていちいちスローモーションにしなくちゃいけないのかと、一人でブツブツ言っていたものだ。
指輪の誘惑に負けた男が、振り向いてニヤリと笑うところもわざとらしく写していたし、人間とエルフのロマンスも鼻をつまみたくなるほどクサくて好きになれなかった。
しかし「ロード」はそういった不満も吹き飛ばすほど痛快作だったから、僕は評価したのだが、つまりはこれが「装飾の映画」だったから受け入れ易かったのだろう。
各シーンをそれらしく飾り付け、実際よりも大袈裟に、派手に見せる。
それをジャクソンの映画作りの神髄だとするなら、「ブレインデッド」は装飾映画のひとつの到達点であった。
パラダイム
ジョン・カーペンター流の吸血鬼映画というかゾンビ映画。
主演は牧師役にドナルド・プレゼンス、科学者役にヴィクター・ウォンという泣く子も黙る強烈なカップリング。
前半はうるさいBGMに乗せて、超常現象について科学的な見地から描いているが、後半からは科学の及ばないオカルトチックなストーリーへと展開していく。
悪魔の液体が水鉄砲のごとく飛んできて、それを飲んでしまった者は悪魔の下僕となってしまう。
悪魔の下僕に殺された者、下僕の口から飛び出す液体を浴びた者も悪魔になる。
こんな調子で町の外のみんなは根こそぎ悪魔と化し、世界は悪魔に支配されていく。
取り残されたのは建物に立てこもった数名だけ。
アクエリアス
低予算のホラー映画は、製作者が自腹を切って撮影するようなものが少なくなく、そうなるとどうしても陳腐で見え透いた映画ばかりが出来てしまう嫌いがある。
舞台俳優・舞台演出家がステージの上で次々と殺されていく「アクエリアス」は、自腹を切ったところでは他のホラー映画と共通するが、監督がイタリアの鬼才ダリオ・アルジェントの愛弟子ミケーレ・ソアビとあって、実にひねりのきいた、まともな作品になっています。
「B級ホラー映画は怖くない」のジンクスを覆す、本気で怖い一本といってよい。
密室、暗闇、見えざる敵、血、女の悲鳴というホラーには欠かせないモチーフがそのまま活かされ、あくまで古典的な手法で怖がらせているところにも共感が得られるが、音楽には工夫も見られ、ソアビの野心をくみとることができます。
イタリア映画は元来どれも音楽がいいが、「アクエリアス」ではビートのきいたダンス・ミュージックを使用しており、アルジェント譲りの異様な恐怖心をかきたてている。